教育学系大学院生の徒然日記

教育学を学ぶ大学院生の日々思うことを書く日記です。自分の覚え書きとしても利用します。特定はされない程度にうまくぼかして書くかと思います。

大学院生の徒然日記6

気付けば200日ぶりくらいの更新ですね。

びっくりしました。

 

 

それはさておき

ある方のブログを読んでいて,

自分の想いは眠って無くすのではなくつづらなければいけない

そんな気がして今回ブログを書くことにしました。

 

この7か月弱の間に自分も多くのことを学びました。

7か月前では考えなかった視点が今自分の中にあることは実感できています。

 

ここ数日は教育関連のイベントに多く参加しています。

それに伴って自分の考えも更新され,またよりよくなってきている気がします。

 

ただ自分の思想の問題である以上何がいいのかというのは

価値観でしかない気がするんです。

 

あいつの考え方は間違っている

こういう風に言うのは間違っている

 

これは間違っているのではありません。

 

私が嫌いなだけなのです。

 

だからこれから書くのは「私が嫌いな価値観」です。

 

今日ある男の子と話していたのは、

コミュニティという集団を考えたときに損害になるというものはあるけれど

必ずしも間違いという概念はなくて

相手を非難するのではなく,相手とどうして共生していくのかの方が圧倒的に

重要なのだと。

たとえるなら

アンパンマンは毎度悪いことをするばいきんまんを絶対に殺しません。

何度悪さをしても,どれだけアンパンマンやその他大勢を毎週困らせても

25年間生きてきた中で,アンパンマンが「この野郎!ぶっ殺してやる!」

という場面は一度たりとも見たことはありません。

(25年間毎週見ているわけではないのですが)

 

このアンパンマンのスタイルが僕自身が考えることなのです。

悪いことをしたら,罰は受けなければいけません。

他人に迷惑をかけておきながら,自分はなんの被害もないなんて

そんな正直者が馬鹿を見るような不公平な社会は合ってはならないと考えるからです。

 

しかしその一方で,悪さをしたらしっかりと更生できるようにしてあげなければならない。

 

失敗したら立ち直れる環境を作らなければならない。

 

そんな風に思うのです。

 

今の社会は失敗が許されない。

 

その結果妬み嫉みを避けるため、自己責任という言葉まで生み出しました。

 

「失敗してもそれはあなたのせいよ」

「社会と私たちは何も悪くないんだから」

 

まるでそういう風に言いたいかの如く,言われる発言に嫌気がさします。

 

ばいきんまんが毎回悪さをするのは本当に本人だけのせいか?

 

菌を撲滅しろという社会は悪くないのか?

アンパンマンの懲らしめ方が悪いのではないか?

 

そんな視点から考えなければなりません。

 

個人の問題に帰着させてしまうと問題が矮小化して

問題の本質が見えなくなることが多々あるのだと思うのです。

 

ばいきんまんはもともと悪い奴であいつがいい奴になる努力を怠っているんだ

 

今回ばいきんまんでいうとそこまで切迫感はありませんが

 

これが個人の失敗に変わった時

大変な絶望感を与えるのです。

 

「失敗したのはお前の努力不足だ」

 

どれだけ無慈悲な言葉でしょう。

その人はどれだけ努力をしたのか知らない人が言う言葉です。

 

はっきり言って反吐が出る。

 

環境が同じ人が成功したのだからお前も成功するはずだ

なんていうのは人間が全く同一のものだという意識から発生しているものです

 

ふざけた解釈だ。

 

一人一人できるものや得意なことが違うのにそれをその人のせいにするなんて

数千年歴史を紡いできた人間のすることではない。

 

そんな風に感じるのです。

 

最近のうっ憤を書き殴っててしまった感がありますが

今回は一先ず一区切り。

 

では、また次回。