教育学系大学院生の徒然日記

教育学を学ぶ大学院生の日々思うことを書く日記です。自分の覚え書きとしても利用します。特定はされない程度にうまくぼかして書くかと思います。

大学院生の徒然日記7

先日学校にもあまり通いたくない,将来就きたい仕事がない後輩君から相談を受けました。

 

「別にやりたいこともないし,誰かのために生きたいとかもないし,俺ってなんで生きてるのかって考えてしまう」

 

「先輩はなんで生きてるんですか?」

 

まぁちょこっと重たい話ですが自分の感じたことを書きたいと思います。

 

こういった不安を抱えた学生や社会人の方は多いのではないかと思います。

 

こういった不安を抱えた人は一定数いるようで,経済状況が悪化しているという不安や先が見えない人生を生きなければならないという不安という2つの不安が折り重なった結果巻き起こっているものであるように感じます。

 

個人的には折り重なっているともいえるけれどむしろ社会が個人に不安を背負わせているのだと思っています。

もっと安心して子育てできる世の中なら普通に子どもも生みたくなるわけですし。

様々な事情を抱える人々がいるかと思いますが、その一方で社会(国家)が国民を守り切れていないというのも一つ悪い点ではないかと思います。

 

また日本社会では一度ドロップアウトすると,もう二度と這い上がれないという謎の圧力が生じています。

これが人と違う道へ歩くときに最大のハードルではないかと感じます。

学校に普通に通っているだけだと価値観が広がらないため,どうしても他者と同じ道を選んでしまいがちです。

 

ドナルド・トランプなんて何回倒産していることか。

失敗なんてものともせずちゃれんじしつづけることが重要であるという一例ですね。

(それが正しいかどうかというこてゃさておき)

そういった不安が漠然とある中で彼は豊かな感性を持ってこのことに気付いたのです。

これは本来生きる上で考えなければならないものなんですが,多くの若者が考えずに社会へ出ていきます。

但しこれには考える必要性を迫られなかったという意味で社会が充足していることの表れでもあるのだと見ることもできます。

 

 

 

さてはないが逸れましたが私がなぜ生きるのか書いていきます。

 

私が生きるのは自分が興味のあることをし続けたいからです。

 

目の前にとてもおいしそうな大好物があります。(僕の場合はハンバーグです)

今お腹が空いています。

その状況であれば食べますよね?

もちろん毒があるかも~とか潔癖症で~とかの理由は除いてください(笑)

 

僕にとって「自分のしたいことを続ける」≒「生きること」につながるのです。

 

毎日毎日毎日毎日やりたいことを拾っていたらもう気付いたら24歳だったというだけなのです。

 

だからこそ今までの人生に後悔はないし,これからの人生もとても楽しみです。

 

僕が死ぬときはきっとやることがなにもなくなった時です。

でも今のところその予定はないし予定だと100歳まで生きても足りないので

テクノロジーの進歩が早く来てほしいと感じます。(笑)

 

これは賛否もあるかと思いますし、いろんな人がいてもいいのだと思います。

 

ただ一つ言えるのは,いろんな価値観に触れておくことが,こういった悩みを解決する一つの方略になりえると思います。

こんな生き方もあるんだ

こんなにテキトーでいいの?

こういった自分の価値観を少しでも揺さぶれると頭の中の固定概念を壊すことができるのでへんなこだわりを捨てられるのではないかと思います。

 

後輩にもそういた点を話しながら少しずつ悩みを解決していけたらと思います。

 

 

本日は以上です。ではまた。

 

 

 

 

大学院生の徒然日記6

気付けば200日ぶりくらいの更新ですね。

びっくりしました。

 

 

それはさておき

ある方のブログを読んでいて,

自分の想いは眠って無くすのではなくつづらなければいけない

そんな気がして今回ブログを書くことにしました。

 

この7か月弱の間に自分も多くのことを学びました。

7か月前では考えなかった視点が今自分の中にあることは実感できています。

 

ここ数日は教育関連のイベントに多く参加しています。

それに伴って自分の考えも更新され,またよりよくなってきている気がします。

 

ただ自分の思想の問題である以上何がいいのかというのは

価値観でしかない気がするんです。

 

あいつの考え方は間違っている

こういう風に言うのは間違っている

 

これは間違っているのではありません。

 

私が嫌いなだけなのです。

 

だからこれから書くのは「私が嫌いな価値観」です。

 

今日ある男の子と話していたのは、

コミュニティという集団を考えたときに損害になるというものはあるけれど

必ずしも間違いという概念はなくて

相手を非難するのではなく,相手とどうして共生していくのかの方が圧倒的に

重要なのだと。

たとえるなら

アンパンマンは毎度悪いことをするばいきんまんを絶対に殺しません。

何度悪さをしても,どれだけアンパンマンやその他大勢を毎週困らせても

25年間生きてきた中で,アンパンマンが「この野郎!ぶっ殺してやる!」

という場面は一度たりとも見たことはありません。

(25年間毎週見ているわけではないのですが)

 

このアンパンマンのスタイルが僕自身が考えることなのです。

悪いことをしたら,罰は受けなければいけません。

他人に迷惑をかけておきながら,自分はなんの被害もないなんて

そんな正直者が馬鹿を見るような不公平な社会は合ってはならないと考えるからです。

 

しかしその一方で,悪さをしたらしっかりと更生できるようにしてあげなければならない。

 

失敗したら立ち直れる環境を作らなければならない。

 

そんな風に思うのです。

 

今の社会は失敗が許されない。

 

その結果妬み嫉みを避けるため、自己責任という言葉まで生み出しました。

 

「失敗してもそれはあなたのせいよ」

「社会と私たちは何も悪くないんだから」

 

まるでそういう風に言いたいかの如く,言われる発言に嫌気がさします。

 

ばいきんまんが毎回悪さをするのは本当に本人だけのせいか?

 

菌を撲滅しろという社会は悪くないのか?

アンパンマンの懲らしめ方が悪いのではないか?

 

そんな視点から考えなければなりません。

 

個人の問題に帰着させてしまうと問題が矮小化して

問題の本質が見えなくなることが多々あるのだと思うのです。

 

ばいきんまんはもともと悪い奴であいつがいい奴になる努力を怠っているんだ

 

今回ばいきんまんでいうとそこまで切迫感はありませんが

 

これが個人の失敗に変わった時

大変な絶望感を与えるのです。

 

「失敗したのはお前の努力不足だ」

 

どれだけ無慈悲な言葉でしょう。

その人はどれだけ努力をしたのか知らない人が言う言葉です。

 

はっきり言って反吐が出る。

 

環境が同じ人が成功したのだからお前も成功するはずだ

なんていうのは人間が全く同一のものだという意識から発生しているものです

 

ふざけた解釈だ。

 

一人一人できるものや得意なことが違うのにそれをその人のせいにするなんて

数千年歴史を紡いできた人間のすることではない。

 

そんな風に感じるのです。

 

最近のうっ憤を書き殴っててしまった感がありますが

今回は一先ず一区切り。

 

では、また次回。

 

 

大学院生の徒然日記5

こんにちは。

今日は感じたことを率直に書いていきたいと思います。

 

教育学部では教師を育てます。

もちろん,なるべく優秀な教師をです。

実際にどうかは分かりませんが,優秀で子どもが将来幸せになれるように

力を付けてくれる教師を育てようとしています。

 

授業を作るときにも「この授業をして子どもは何が出来るようになったのか」

「どのような変化が生まれたのか」「何を学んだのか」

そんなことを日常的に問われるのが,教育実習です。

非常に辛い日々の中に心が折れてしまう学生もいます。

様々なことがある中でも教師になりたいと思える学生がいることは

大変すばらしいことだと思います。

 

 

しかしながら,こういった考え方をし,一歩間違えると

「自分は子どもたちに何かしてあげなければならない」

「授業をする上で教師は何か子どもたちに与えなければならない」

 

こんな風に考えてしまいます。

一つの公開講座,一つのワークショップとってもこのように真剣に考えます。

 

真剣に考えるのはいいことです。

 

しかしながら1時間の授業で,ましてやワークショップで

子どもに何か伝えきれるなんてできるわけがないんです。

 

そんなこと私たちができるなら,学校の先生たちは苦労しないし

学生たちだって悩みません。

 

自分が「なにかできる」とそう思ってしまうことが非常に傲慢ではないか

ついそんなことを思ってしまいます。

 

決して悪いことをしているわけではないので,指摘しませんが

自分の中にはモヤモヤしたものでいっぱいになってしまいます。

 

もっと自分ができることを知り,無力感を知り,努力していくような人が

教師になるべきだと強く感じました。

 

 

大学院生の徒然日記4

久方ぶりの更新です。

もう少し,頻繁に更新していきたいのですが

心に余裕がありませんでした。(笑)

 

先日は院生同士での飲み会も開かれ非常に楽しかったです。

まぁその中でした会話や今まで感じてきたことを

簡単にまとめたいと思います。

 

 

学生の中でよく目指したい教師像の話になります。

昨今教師による不祥事もいささか多く

教師の資質が問われていることも多いので

そのような話になるのも自然だと思います。

どのような先生が教師足りうるか,教師に必要な能力や考え方は何か

とても盛んに議論されて様々な考え方が聞ける楽しい時間です。

 

私自身の考えとしては,「いろんな人に教師になってほしい」ということです。

授業の上手い先生,子どものことをよく見ている先生,不器用な先生,

話の長い先生,面白い先生,頭のいい先生etc…

いろんな人に居てほしいです。

 

教師一人にできることは限られています。

もちろんその中で全力は尽くすべきですが

物理的に難しいことも多いです。

 

そういったときにはほかの先生の手を借りちゃえばいいんじゃない?

と思うわけです。

そしてお互いに苦手なところや得意なところを尊重し合って

子どもたちと向き合っていく

そんなことが大事ではないかと思うのです。

 

不器用な先生がいて授業があまりうまくなくても

一生懸命子どもたちと向き合おうとする姿勢を見せれば

そこからなにか学び取れるのではないかと思うのです。

 

加えて先生同士が協力して助け合えば,子どもたちもそれを自然と

自分たちの行動に活かせるのではないかとも思うのです。

 

そんな学校があればきっと先生も子どもたちも楽しく過ごせるのではないか

そんなことを考えています。

 

だから僕はどんな人にも教師になるなとは言わないことにしました。

たとえ向いていないとしても,本人が向いていないと思っても

仕事を選ぶ自由は誰にでもありますよね。

 

頑張ればだれがなってもいいじゃん。

 

いつか胸を張って誰に対しても言えるようになりたいですね。

大学院生の徒然日記3

こんにちは。

最近は暑かったり,寒かったり大変ですね。

今日は雨が降っている地域も多く,天気も気分も下り坂って感じですかね。

まぁそんな僕の気持ちは置いておいて

最近TwitterとかFacebookとかでは教職のブラックさが取り上げられていますね。

テレビでも今日の残業時間がすごいだとか

部活動はほとんど手当が出ないとかそういう話になります。

現実問題としてそういうところがあるといわれるものの

特に改善はされません。

まぁ教師しか困っていないんだからそれは当然改善されるわけないですよね。

しかも「子どものため」という大義名分がまかり通ってしまうために

教師への負担が大きくなる。

大きな問題ではありますが、緩やかに改善していくしかないのだろうなというのが

私の意見です。

これで教師の待遇を良くした場合,一番困るのは「子どもたち」です。

それが分かっているから,しんどくてもやめられないというのが教師です。

まじめな人ほど自分を締め付けて苦しめてしまうのが教師であるのだと思います。

(それが正しいかどうかはさておき)

 

それ以上に私が気持ちが悪いのは,大学生や新任1~3年目そしてその親です。

教師が忙しいことなんて,火を見るよりも明らかです。

おそらく公務が抜本的に改革され,部活動をやらなくてよくなっても

教師には「研鑽」という仕事が残ります。

日々研究を重ね,子どもたちのために授業を四六時中考え,

子どもたちへよりよい学びを提供したいというのが教師という生き物です。

このようにずっと「学び続ける」ということは想像してる何倍もつらいです。

自分は上手くいかないのに隣のクラスの先生は良い授業をする。

自分ばかり上司・先輩にいびられる。

努力しているのに自分の思うような授業にはいつまでたってもならない。

今問題視されていることが解決したとしてもこれだけの大きな仕事が残っています。

それでもやりたいと思ってくるなら良いのですが

職業上「子どもが好き」くらいで務まる仕事ではないのです。

教員採用試験の募集要項にも「心身共に健康な」と書かれることも多いです。

健康な肉体と精神を持つ人でないとできないのです。

それを「安定しているから」とか「親が安心するから」程度の理由で

高校生が選び,何のためらいも退く教師になっていくということは

どれだけおそろしいことか。

 

何も知らずに勧めたりしないでほしい。

そんな簡単に続けられる職業ではないのです。

夢があるならそれでもいい。

但しそれは教員採用試験を受かっても5年ほどは思うようにできない。

ゴールは教員になることではないのです。

そういったキャリア教育が足りていないのだということも重々承知ですが

少し知ってもらえたら勘違いが減るのではないかと思います。

大学院生の徒然日記2

こんばんは。

早速先日思ったことを簡単に書いていきたいと思います。

先日駅前に買い物をしに行ったときについでに本屋さんに寄りました。

大学院に進学することを決めてから,

専門書まではいきませんが本を買って読むという習慣がついたので

本屋さんには暇があれば立ち寄ります。

まぁ買う量と読む量が見合わないので積読が増えるのですが・・・

それはともかくまぁそこでいろいろなコーナーを見ていたけです。

とはいっても今回はほしい本がなかったので

最後に雑誌コーナーをプラプラしていました。

その雑誌コーナーには「クラフト」というコーナーがありました。

僕は工作や日曜大工的なことが好きなので

「お!クラフトか~。工具の使い方とか無骨なラインナップなんやろなぁ」

と思ってのぞいてみました。

しかしそこにあったのは

「Let’sDIYガール!」「クラフト女子になろう!」

みたいな雑誌ばかり。

・・・俺の思ってた雑誌と違う・・・

スーッと立ち去りました。

まさかここまで女性向けになっているとは・・・

まぁきっと男性向けのものもあったんだと思います。

でもパッと目を引くものが女性向けのものでした。

なんか寂しいなぁ・・・

正直なことをいうと女性向けになる方がお金が稼ぎやすいし

女性が様々な分野に趣味を広げてくれることは喜ばしいことなのです。

しかし,なんかこういった書店の様子なんかを見ると

最近は女尊男卑をときたま感じるのです。

両方おいてくれればよいではないかと。

しかし,悲しきかな男性諸君。

私たちは男性に生まれてしまいました。

女性にはご飯をおごらなければならない。

お店やデート先でエスコートできなければダメな男の烙印を押される。

女性の気持ちを汲んだ発言をしなければ,すぐに嫌われる。

これは宿命です。

やらなければならぬのです。

非常に辛い。

しかし女性に嫌われるのはもっと辛い。

だから頑張るのです。

明日からもエスコートのできる紳士を目指すのです。

女性の皆さん。

男性は頑張っています。

少しだけ認めてあげてください。

女性より少し不器用ですが,気に入られたくて頑張っています。

どうかお許しください。

というようなことを考えました。

女性に優しい世界いいじゃないですか。

ただ少しだけ男性にやさしくしてもらえたら嬉しいです。

同じ趣味を共有しながら楽しくいきていきたいですね。

23歳大学院生のつぶやきでした。

大学院生の徒然日記1

はじめまして。

某大学で大学院生をしているものです。

専門は教育学ですが,言語学や文学,社会学や工学などもかじっております。

(本当にかじっている程度ですので学士程の知識はございません…)

院生になると研究室にいることも多く,鬱屈とした気分になってきます。

ですので

モヤモヤしたことや思ったことを素直に表現できる場がほしいと感じて

ブログを書いてみることにしました。

教育に関すること以外はエビデンスが全くないので,

なーに言ってんだこいつ

と思うこともあるかと思いますが適当に流していただけたら幸いです。

教育に関することでも個人的な意見が大半を占める場合もあります。

まぁブログなので…と言っては元も子もないですが

お目汚しにならない程度には整えた文章で書きたいと思います。

よろしくお願いいたします。